今日 昼に携帯がなり。でますと、「渡辺さんですか?わたしは、3月28日の新聞を見て電話してます。」と丁寧な感じで、でもちょっと緊張している様子を感じました。話して行くうちに、うるやかに声も落ち着きを感じてきて。「3年後、沖縄にイルカセラピーができて、宿泊ができるところを作るのです。ぜひ、お話しできたら」と嬉しいお話した。そうそう現在、ジャックの樹をスタートするときも沢山の不安があった時期を思い出します。当初は、5人の子供たちがあ集まりましたが。それでは、生活ができないので。夜中のゴミ収集のバイト・コンビニのバイト・寿司屋のバイト・道路の警備とプールとバランスよくこなし。時間があれば、沢山の勉強会に参加して、養護学校(現在・特別支援学校)に運動会・学習発表会まど。小学校・中学校・療育センターなどと沢山な先生と現場の人の話し・おやごさんの話し・大学の先生と語り・医療センターのドクターと語りあらゆる方たちと出会いました。入所施設で、16年経験の中でも。長崎・諫早の街で施設から出て街で暮らすために、あらゆる職種の方たちと「人が人らしく生きること。死を受け入れること」など語りあいました。長崎は、原爆のこころの傷跡からもあって人が人らしく命の尊さを大切にするまちです。だからか、若い私はすごく刺激的でした。それが、私の福祉畑の原点だと思います。これから、チャレンジする方も沢山の仲間と本当の「人が生き合うこと・老いることを語ってほしです。」そしたら、何かが見えます。それからは、こっこっです。技量を身につけること。私も、毎日 頑張ります。
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